Unce Upon a Time...

イギリスの田舎暮らし、バイリンガル育児、イギリス英語についてお届けします

最近もやもや度が下がった気がする

先週仲良くしているママ友のうちの1人の復職が決まった。いつもなら「おめでとうー!」と笑顔で言いながら、あとで1人になって「あぁ、また専業主婦組が1人減った。。。」と取り残され感でもやもやするのであるが、今回はそれがなかった。正直ちょっとおどろきである。せっかくなので今の心境を整理しておこうと思う。

この友人は旦那さんの仕事について外国へ行きその国で子供を2人出産し、その後イギリスへまた旦那さんの仕事の関係で引っ越してきた。イギリスへきてもうすぐ1年になるが今までは専業主婦だった。旦那さんともにEU圏出身なので帰省もしやすいししばらくはイギリスに定住するつもりだそうだ。定住予定については異なるものの、これまでの経緯は私と全く同じパターンである。

では、なぜ似たような境遇の人が復職することに対してもやもやしなかったのかをまとめてみる。

 

1.将来の心配をせずに今を楽しむことを覚えた

仕事を辞めた直後は先ばかり見て心配していた。将来の復帰を考えるとキャリアブランクがどんどん長くなっていく現状にいてもたってもいられなくなる。Facebookでキラキラと活躍している(ように見える)元同僚たちの姿をみては焦燥感がつのっていった。

これといったきっかけがあったわけではないのだが、今は私をもやもやさせてきたあの将来に対する焦りがあまりない。逆に、日常の中で絶え間なく起こる小さなドラマを楽しめるようになった。つまり、私は育児を通じて今この瞬間の大事さを知ったのだと思う。例えば、昨日できなかったことを目の前で得意げにやってのける娘をみるときなどにそれを実感する。

ちょっと前に偶然この記事を読んだ。読んでからしばらく経っているがまだ印象に残っているので紹介しておきたい。

fusion.net

 

米国テキサス州の監獄に住む死刑囚の話だ。非常に劣悪な環境で育ったこの36歳の囚人は、父親の犯した殺人を介助したことを理由に15歳のときからこの監獄にいる。このとき与えられた刑期は99年。その後、1999年にこの監獄の看守が何者かに殺害される。この囚人は当時隔離されていたにも関わらず看守の殺人罪に問われる。物的証拠はなく証拠は他の囚人たちの証言のみ。支援している弁護士がDNA鑑定を急いでいるものの、彼の死刑執行が8月23日に予定されている。

このように普通の人なら気が狂ってしまってもおかしくない境遇の中で、この囚人は物理学、宗教学、哲学、詩などを読んで過ごす。さらにNPR(アメリカのパブリックラジオ局)を聞き政治動向にも注意を払っており、「トランプが大統領として選ばれるなんてありえないだろう」と話す。

記者がインタビューする中でこの囚人はこう話す。

“Ninety-nine percent of the people back here, they’re living with the pain of their past, or they’re worried about what’s going to happen next,” he said. “I try to stay now, in the moment, and it really works for me.”                         Robert Pruett

直訳すると、 「ここ(監獄)にいる99%の人間は過去の苦しみや将来の不安と生きている。」「私は今を生きようとする。この瞬間を。この方法はうまくいっている。」

 私はこの死刑囚から学ぶことがたくさんあると感じた。死刑実行日までに判決を覆す証拠が発見されることを願ってやまない。

 

2.娘の日本語教育への責任感

 もやもやが減った次の理由は娘の教育、特に日本語教育に対する責任感である。娘にとって私は数少ない日本語話者であり、また唯一の「日本語の先生」である。当たり前のことなのではあるが、改めて実感するとこれはかなり重い責任だ。

娘がバイリンガルになれる環境を整えるために、「家の中では日本語」「外では英語」を徹底していたのだが、実は悩んだ末ここ1カ月間は私から話しかける言葉は日本語オンリーにしている。それでもプレイグループへ行けば英語が飛び交い、お散歩していて話しかけてくる人も英語、お友達の家に遊びに行っても英語、絵本も半分以上は英語である。私がママ友と話すのも英語なので娘はそれを聞いている。ただ、私と娘は日本語でのコミュニケーション。

娘の言葉が出てくるのが遅いことを心配していろいろ自分なりに勉強してアプローチを変えることにした。この話はまた改めてブログに書こうと思っているが、母語は母親との絆の言葉だそうだ。国際結婚などで両親が違う言語を話す場合は「1人1言語(多くの場合はそれぞれが母語で話す)」のやり方が一般的だが、海外で両親ともにマイノリティ言語(その地で共通語として話されている言葉ではない言語)が母語の場合は、まず就学前に家庭で母語を確立させておくと、学校に行き始めたときにschool langugageとして現地の言葉をスピーディに習得できるらしい。

というわけで、母語優先に切り替えたたのだが、この1カ月で娘の発語が増えたように思う。年齢的なものもあるのだろうが、もう少し様子をみてみようと思う。相変わらず素晴らしい理解力を日本語でも英語でも発揮するので、そのうちたくさんおしゃべりしてくれるようになることを願っている。

話が若干ずれたが、娘の日本語教育が私にかかっている(夫とも日本語で話すがコミュニケーションの量は圧倒的に私とが多いため)という責任感が、専業主婦でいながらももやもやしないようになった二つ目の理由である。

 

3.ワーキングマザーの大変さを目の当たりにして今復帰する自信がなくなった

1つ目と2つ目の理由は前向きな理由だったのが、3つ目は少しネガティブなものである。それは、まわりのワーキングマザーたちがほんとに大変そうなこと。つくづく女性がキャリアと子育てを両立するためにはパートナーの協力が不可欠だと思う。イギリスでは一般的に男性は日本よりも家事育児を積極的に行うが、それでもやはり平等とは言いがたいのが現実である。フルタイムで働いているママ友たちはいつも疲れているように見える。

また、私が今田舎に住んでいるせいもあるが、お母さんがフルタイムで働いている場合は祖父母による育児サポートがある場合が多い。よく行くプレイグループでも日によっては半分以上が祖父母(またはナニー)で、お母さんが少数派ということもある。通学や下校風景を見ていても祖父母らしき人が迎えにきていることはとても多い。さらに日中は保育園に行く場合でも、保育園に行き始めた子たちはほんとによく病気をする。その他ちょっとした緊急時の バックアップがあるかないかで日常は全く変わってくる。

私も夫に家事育児のサポートをお願いして、仕事を始めることもできなくないが、夫にとっては今年は仕事上非常に大事な年でとても忙しくしている。時間がないと言っていればいつまでもない、時間は作るものだとは言うが、研究者は少し特殊なキャリアパスなので今は仕事に専念させてあげたい。祖父母は日本。よって今私が仕事を始めると家事育児のほとんどを1人でこなさなくてはならないため、それはちょっと大変すぎる。。(日本でそれをこなしているワーキングマザーの皆さんはほんとにすごいと思う)

 

イギリスでは一般に3歳からナーサリー、4歳から小学校へ行く。言葉のこともあるし、復職は早くて3歳からかな。4歳からでもいいかも、と今は思っている。

 

あと、付け加えると、趣味で運用している株が最近調子がいいので、ちょっとした自分の欲しいものを自分のお金で買えることももやもや度が下がったことに貢献していると思う。