前回の記事で念願の100記事を達成しました!!
毎日書いている人だと3カ月ちょっとで達成できる記事数ですが、紆余曲折あったこのブログはなんと3年(!)もかかってしまいました。(初記事は2016年1月)
途中で1年ぐらいブランクがあったとは言え、3年はかかり過ぎですね。。反省💦
このブログ、当初は「もやもや専業主婦の海外田舎暮らし日記」というタイトルでした。
専業主婦がかかえる特有のもやもやした気分が、慣れない海外での田舎暮らしと子育てのストレスのダブルパンチで一気に濃くなってしまい、その吐き出し先として始めたのがこのブログでした。
この過去記事↓をいま読み返すと、当時のもやもやっぷりを思い出します。当時娘は1歳。いろいろ大変だったなぁ。。
そして今、2019年3月が終わるところ。
「脱専業主婦をはかりたい」「頭を整理したい」と、もやってた私ですが、3年かけてどうにかこうにか、前に進むことができているように思います。
100記事までたどり着くことができたので、ここで改めて自己紹介をさせていただこうかと思いつきました!どうぞお付き合いいただければと思います。
簡易版プロフィール
アラフォーに突入した1児の母です。夫と娘(もうすぐ5歳)の3人家族です。
イギリス北部の田舎町に暮らして4年と少し。その前はアメリカの田舎町に1年半ほど住みました。アメリカで妊娠・出産を経験し、娘が半年のときにイギリスへ引っ越してきました。
出身は関西。大学で上京し、卒業後は主に金融機関で働いていました。途中で仕事を辞めて、東南アジアのマイクロファイナンスの団体に関わっていたこともあります(延べ1年ほどいました)。今は在宅でパートタイムで仕事をしています。
東京大学の国際関係論修士卒です。
これ以降は、長くなりますので、ご興味のある方だけお読みいただければと思います。
田舎暮らしと在宅ワークについて
アメリカに渡った当初は、できれば現地で何か仕事をと考えていたのですが、すぐ妊娠がわかり、車の運転にも自信が無かったことから、ずるずると専業主婦になりました。
今思えば、私は「主婦ごっこ」のつもりだったのではと思います。
最初は良かったんです。
朝早く起きて通勤しなくていい!
時間は全部わたしのもの!
イェーイ!!
という感じでした。
でも、そんな気分は長くは続かず。「ごっこ」だったはずの「専業主婦役」の自分から抜け出せないまま、だらだらと時間だけが過ぎてしまいました。
そこで、仕事を探し始めるのですが、私が日本でしていたような仕事は田舎では見つかりません。1度だけ、「これは!」と思える仕事があり、応募したのですが面接にも呼んでもらえませんでした。
キャリアブランクか、、、外国人ハンデか、、、と落ち込みましたが、幸運にも在宅でできる仕事が見つかりました。
始めたころは、フルタイムの仕事が見つかるまでの「つなぎ」のつもりだったのですが、今ではもうしばらく続けてみようと思っています。
「田舎暮らし」と「在宅ワーク」というのは非常に相性がいい組み合わせです。
私は、自分がこのような環境に身をおくまで、在宅で仕事をするということをあまり考えたことがありませんでした。でも日本の働き方改革が進む中で、もっと在宅で働ける仕事が増えるといいなと思っています。
いまは田舎に住んでいるのでチョイスがないのですが、もし都会に住んでいたら「週3日オフィス+週2在宅」が理想だなと思います。
在宅ワークをしているおかげで、今のわが家の1日はこんな感じでまわっています。
7:00 全員起床
7:30 皆で朝ごはん、身支度、父と娘のじゃれ合いタイム等
8:30 娘は学校へ、夫はオフィスへ
9:00 仕事スタート
12:00 ランチ
15:00 仕事おわり
15:30 お迎え
- 家事
- 娘の勉強のサポート(宿題、日本語学習のためのワークなど)
- 公園、お友達の家、習い事など
18:00 娘晩ごはん
19:30 娘就寝
20:00 夫婦のごはん
21:00 自由時間(仕事の残りをすることも)
23:00 就寝
家事ほとんどしてない感じですが、自分のランチ作るついでにちょっと夕ご飯の下準備したり、気分転換にちょこちょこ掃除したりもしてます。こういうことができるのは在宅ワークならではだなと思います。
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夫の帰ってくる時間が早ければみんなでそろって晩ごはんを食べる日もありますが、娘がお腹すいて待てないので、ひとりで先に食べさせることが多いです。
娘はとても寝つきがいい子で(赤ちゃんの頃は逆に寝ない子で本当に大変でしたが。。)、お風呂や読み聞かせなど寝る前のルーティンをこなしたあとは、ベッドに寝かせて「おやすみ~」と言ってドアを閉めたら、5分後に見に行ったらもう熟睡、という感じです。
だから私たち夫婦は、娘が寝たあとに2人でゆっくり食べる方が落ち着いて会話もできるということもあり(のんびり飲んだりもできるし。。)、今はこれでいいかなと思っています。
英語について
このブログでは、当初「バイリンガル育児」を中心に、自宅で取り組んでいる日本語教育などについてご紹介していたのですが、最近になって「イギリス英語」についてもよく書くようになりました。
今では私は、日常生活や仕事をする上では英語で困ることはなりましたが、ここまでの道のりをふり返ってみたいと思います。
幼少~小学校
英語との接点はほぼゼロだったと思います。
ただ、両親の職業柄、外国語の本がたくさんある家で育ったので、なんとなく外国や外国語の関心は高い方だったのではと思います。
中学時代
中学のころは洋楽にはまって、歌詞カード(最近の人は知らないのかも?CDに歌詞が印刷されたものが入っているのです)の内容を一字一句覚えて(知らない言葉は調べて)、「完コピ」したりしていました。中高の頃に必死で覚えた歌は、今でも歌えるのもあります。
学校の成績でも英語が一番良かったです。
中学3年生のときに、カナダの親戚の家に夏休みを利用してホームステイをさせてもらいました。これでさらに英語熱に火がつきました。
高校時代
高校2年生のときに、1年間カナダに留学をしました。
突然思い立って交換留学団体の試験を受けたのですが、娘の願いを叶えてくれた両親にはとても感謝しています。留学に先立って英会話スクールなどにも通いました。
留学中は自分の英語が全然通じなくて、辛い思いもたくさんしました。1年間留学した程度では、英語は大してできるようにはなりません。でも、留学をして確実に度胸はつきました。
帰国後は、塾に通って受験勉強をする傍ら、当時Yahooが提供していた英語のチャットルーム(Yahoo chatというサービスでした。Windows96の時代です。)で英語ネイティブ同士の会話を眺めたりして語彙や表現方法を学んだりしました。
Politicsの部屋ではアメリカ人同士のディベートが盛り上がってたりして、中継を見る感じでチャットルームの会話を追っていました。
良かったのは、チャットルームの会話は全てテキストなので、わからない言葉が出てきたらすぐコピーして調べられることです。「雑談」の部屋などでは、ほんとどーでもいいような会話が繰り広げられているわけですが、そこでかなりスラングも覚えたように思います。
当時はブロードバンドなんてなく、確か最初はピーーヒョロロロロ~という音のダイヤル回線でつないでいました。夜間はつなぎっぱなしにできるテレホーダイというサービスがありましたね。。なつかしい。。。
通っていた高校は進学校でしたが理系が強い高校で、あまり語学に関心がある友達はいませんでした。(でも一人だけいて、彼女とは今でも大親友です)
大学時代
仲良くなった友達がバイリンガルの帰国子女で、強い影響を受けました。彼女と話すときは日本語と英語を混ぜて話していました。
授業も英語で講義されるものを積極的に履修したりして、英語力を伸ばそうとしていた気がします。
そして、大学3年生のときに英語圏出身の彼氏と付き合い始めました。この人とはその後7年もお付き合いしました。日本語もまぁまぁできる人だったのですが、2人の会話はほぼずっと英語でした。日常会話のフレーズなどは彼との関係のなかで伸びた気がします。
会社員時代
3社勤めましたが、全て外資(アメリカ系)だったため、上司は皆日本語のできないアグレッシブなアメリカ人でした。プレッシャーのなかでビジネス英語が一気に身につきました。
この頃までに私の英語力は、語彙力ではネイティブとは大きな差はあるものの、発音や話し方では帰国子女と間違われるレベルにはなっていました。
カナダやアメリカとの関わりが濃かったので、私のアクセントはもともとは北米よりでした。イギリスに来たころは初対面の人にはよくアメリカ人に間違われました。でも、最近は何も言われなくなってきたので、イギリス英語になってきたのかな、と思っています。
夫は、私の英語がだんだん「ローカル化」してきていることを懸念しているようです。訛ってきたということか。。
もともと読むことが好きだったので、高校生ぐらいから英語の小説や雑誌などを読み始めました。留学から帰ってきた頃~社会人1年目ぐらいの間に一番読んだかな。
TOEFL対策をしていたころは、関心のある分野の記事などを英語で読みこむ方法で準備しました。仕事が忙しくなったり、娘が赤ちゃんだった頃は読書量がガクッと減ってしまいましたが、最近また洋書を読む時間が増えてきています。
バイリンガル育児について
まず、「バイリンガル」の定義にもいろいろありますが、私が理想とするバイリンガルは次の3要件を満たすものです。(バイリンガル教育の第一人者である中島和子先生が著書のなかで書かれていたものです。)
(1)両言語が会話力でも読み書きの能力でも高度に発達していること。
(2)両言語の文化に対して前向きの心的態度を持つと同様に、母文化に対して文化の担い手としてのアイデンティティを持っていること。つまり、母文化、母語集団へのアイデンティティを失っていない、「バイカルチュラル」であること。
(3)両言語がいろいろな領域で広く使え、しかも混合せずに使えること。つまり、1つのアイデンティティをしっかり持っているバイリンガル、バイカルチュラルで、しかも両言語が偏りなく使えること。
(1)はわかりやすいと思います。話が複雑になるのは(2)と(3)です。
言葉と文化は切り離せないと思われがちですが、ある言語を話すからといって、その人が必ずしもその言語とつながりのある文化を深く理解しているとは限りません。
バイリンガルやトリリンガルの人のなかにも、言語は2つ以上話すけれど価値観やものの捉え方はひとつだけという モノカルチュラルの人も多くいます。(私自身も限りなくこれに近いです。私は英語圏の文化を「知識」として知ってはいますが、そこまでです。)
私は娘に、環境のアドバンテージを活かしてぜひ2言語および2文化を身に付けてもらいたいと思っています。でもそれと同じぐらい強く、「イギリスで暮らしているけど日本人としてのアイデンティティを保ってもらいたい」と思っています。
もちろん、ローカル文化(イギリス文化)をリスペクトすることも大事です。そのためには学校などでしっかりイギリス文化を学んできてもらいたいと思います。
でも、一歩家に入ればそこは「日本」で、私たちは日本人として生活しています。
このまま海外田舎暮らしを続けていると、娘のアイデンティティのゆれの経験など、難しい時期もやってくると覚悟しています。そのときに、自分のルーツは日本だということに対して、娘が誇りを持てることを願って、家庭では地道に日本語学習を続けています。
娘にとっては、自分を取り巻くイギリス文化もポジティブに受け入れながらも、日本との精神的なつながりはキープしてもらいたい、という無理難題ともとれるようなリクエストをしていることになります。
それでも、何らかの壁にぶち当たるまでは、「理想のバイリンガル」育成を目指して貪欲にやっていこうと思っています。
今のところ、幸いとても理想に近いかたちで成長してくれています。
※もちろん、これは私たち夫婦の考え方で、海外で育つ日本にルーツを持つ子供が現地語を優先することを否定するものではないです。それぞれの家庭にあったやり方があると思います。
長すぎる自己紹介記事になってしまいました。。まだ読んでくださってる方、いらっしゃいますでしょうか。。
最後に、過去によく読まれた記事をまとめてご紹介させてもらいます。
>>「海外田舎暮らし」に関心のある方におすすめの記事
>>「バイリンガル育児」に関心のある方におすすめの記事
>>「イギリス英語」に関心のある方におすすめの過去記事
【イギリス英語とアメリカ英語の違い】育児でよく出てくる言葉編
【イギリス英語】イギリス人との会話によく出てくるフレーズ2つ
【イギリス英語】4歳の娘の口から出てくるイギリスっぽいフレーズ
>>「現在専業主婦でもやもや中」の方におすすめの過去記事
ワーキングマザーの子供は専業主婦の子供より成功する可能性が高い?
100記事達成したので、Proへの移行もぼちぼちしていこうと思っています。設定やらで手間取る可能性が高いので、しばらくブログが変なことになってたりする可能性があると思いますが、「あ~、いま格闘してるのね」と温かく見守っていてください :)
Proに移行したら、ブログのタイトルとアイコンも変えて心機一転しようかなと企んでいます♪
最後にもうひとつ。
先月からTwitterデビューしました!フォローしてもらえるとうれしいです💛
はてなで仲良くさせていただいている方で、Twitterをされている方はだいたいフォローしたつもりですが、まだだよという方はお声がけくださいね。