この前の週末は街の中心にある広場で春節(旧正月)を祝う催しものがありました。春節はこちらでは Chinese new years(チャイニーズ ニュー イヤー)と呼ばれます。
娘の学校でも、ここ数週間のあいだ春節について学ぶ時間がありました。いくつかの中国語のフレーズと、なぞの踊りを覚えて帰ってきて披露してくれました。
目次
イギリスの春節
春節はイギリスでわりと大きなイベントとして認知されています。このことはイギリスにはじめ来たときは意外に思いました。アメリカでは大きなチャイナタウンがある街に住む人は存在を知っていても、普通のアメリカ人にとって春節は身近なものだとはいえないと思います。
ちょっと調べてみたら、春節のイベントがイギリス各地で行われるようになったのは歴史的背景があることがわかりました。
イギリスに春節を持ち込んだのは香港からの移民でした。中華系の移民が増え始めたのは1950年代以降。徐々に増え始めて、香港返還が決まった1980年ごろにどっと増加したようです。
香港の文化は、中国本土の文化とさまざまな面で違いがあります。話されている言葉も香港では広東語、本土ではマンダリンと違います。香港の人たちによって始められたイギリスの春節の行事は、本土から来る中国人にとっては自分たちが慣れ親しんだものではないようです。
去年の記事になりますが、英紙ガーディアンが中国人にとって春節は新年を祝う伝統行事からショッピング目的の旅行にとって代わられているという記事を出しています。
春節の時期の中国人観光客の増加は、イギリスだけでなく日本でも毎年見られると思います。一部の富裕層においては、春節のお祭りよりも旅行に行くことが伝統行事になりつつあるようです。
この記事の中で、香港移民によってイギリスにもたらされた春節のお祭りは、本土から来る中国人(今では留学生や観光客のマジョリティ)にとってほとんど馴染みのないものであるということについてもふれられていました。
例えば、イギリス各地で見られるライオンダンス(獅子舞の踊り)も本来は中国南部の伝統で、北部にある北京ではそれほどポピュラーではないとのことです。
イギリスの春節は誰のため?
このガーディアンの記事を書いた記者は、本土から来たイギリス在住の中国人のようです。
北京で育ち、ここ4年の春節は中国で過ごしているとのことですが、「獅子舞の踊りなんてロンドン以外で見たことがない」と言い(本当だとしたら驚きですが)、「イギリスの春節も(古臭い香港スタイルではなく)、もっと本土から大量に来るリッチな観光客にアピールできるように本土式にすべきだ」という意見です。
このガーディアンの記事のコメント欄でも議論が起こっていますが、イギリスの春節は当然ながら中国人観光客のためにしているものではありません。
イギリスの春節は、香港からの移民が持ち込んだものが、歴史のなかでイギリス人に受け入れられながら少しづつかたちを変えて、今のスタイルになったものです。
実際に、私が住む小さな田舎町の春節のイベントでさえ、多くの地元の人でにぎわっていました。夫の勤める大学には中国人留学生がたくさんいるので、来てるのは留学生ばかりかなと思って行ったのですが、思った以上の数のイギリス人が見物に来ていました。
現在ではイギリスの春節はアジア圏外では最大のものともいわれていて、これはもう「現代のイギリス文化」の一部だといってもいいのではないかと思います。それを中国人観光客を呼び込むために、もっと中国本土スタイルに近づけるべきだというのは私には理解できない発想です。
文化は誰のもの?
しかし、ここではっと気が付いたことがありました。
最近の日本食ブームのおかげで、私たちが住む田舎町でさえ和食のレストランがあります。ちょっと離れたところにある、もう少し大きな街にはチャイナタウンがあり、そこにも数件日本食のお店があります。
こういった田舎にある和食のお店で出てくる料理は、ロンドンにあるような日本人の料理人が日本人や食通のイギリス人のために本物の和食を提供しているお店とはまったく違います。
正直「え?」と思うものが多いです。
「イギリス人にこれを日本食だと思ってもらいたくないねぇ」と夫と笑いあっていたのですが、実はこれは先ほどのガーディアンの記者の態度とあまり変わらないものだったのでは、と気が付きました。
この田舎町には日本人はほとんど住んでいません。イギリス人(もしくは他の国の人)シェフが、イギリス人客のために和食を作ると、オーセンティックな日本食はあまりうけないのでアレンジした結果、今出されている料理になったのでしょう。
この田舎町の日本食屋で、日本人が慣れ親しんだ和食を出せというのは無理な話です。
私たちから見たらなぞの和食でも、現地の人がよろこんで食べているならそれでいいんですよね。本物の和食が食べたければ、自分で作るかロンドンに行けばいいのです。
日本にも、輸入された外国文化に日本人が手を加えてローカライズしたものはたくさんあります。よく日本人はそれが得意だといわれます。餃子、カレー、お惣菜パン…、今では立派な日本の食文化の一部です。
もともとは外国文化でも、現地の人によって手を加えられ根付いたものを、その原型を知る人が目くじら立てて「これはホンモノではない!」というのはあまり意味のないことなのかもしれません。
最近では、歌手のアリアナ・グランデが 自身の新曲 "7 rings" を意味するつもりで「七輪」というタトゥーを入れたことが大騒ぎになりました。本人は純粋に日本が大好きで、日本語のタトゥーを入れたかっただけなようですが、「それはバーベキューグリルの意味」「日本文化をわかっていない」と大バッシングになってしまったようです。
確かに日本語で「七輪」は Seven ringsの意味ではないので、そういう意味ではないよ、と教えてあげることは必要でしたが、なぜあそこまで叩かれなければいけなかったのか私にはよくわかりません。
アリアナ・グランデは、7 ringsは日本語で「7つの指輪」だと日本語の先生に教えてもらったものの、彫る字数の関係で略して「七輪」にしたそうです。
日本人でも適当な漢字を組み合わせて当て字みたいにして使いますよね。キラキラネームなんかもその類だし。同じことを日本語話者じゃない人がやるのは許されない、ということなんでしょうか。
もともとは自国の文化だったものが海外に渡り、その地である種の「内在化された外国文化」となったあとは、わざわざ楽しんでいる人をじゃまする必要はないと思います。「へー、そんな風に使うか」とある種のおおらかさを持って接すればいいのではと思います。
ちなみにですが、イギリスにはSuperdryというアパレルブランドがあります。イギリス発ですが、アメリカや他の欧米諸国でも大人気のカジュアル系のブランドです。ファーストファッションではなく、わりといいお値段がするブランドです。
このブランドのロゴには、間違った日本語が「わざと」使われています。
アウターからインナーまでいろいろ展開されていますが、なぞの日本語がよく書かれているので、着てる人がいると日本人としてはついつい見てしまいます。
このブランドの創業者は、日本に来た時に街中にあふれる間違った英語を見て、ブランドコンセプトを思いついたそうです。
アリアナ・グランデの一件をみてると、「日本語をおもちゃにするな!」といわれるようで、こわくてSuperdryは日本での店舗展開はなかなかできないだろうな、と思います。
予定外に長く書いてしまいましたが、ここまでグローバル化(もはや死語?)が進んだ時代に、外国に上陸した自国文化に出会ったときに、そっくりそのまま原型を保っていることを期待するのはもうやめよう、と思ったというお話でした。