Unce Upon a Time...

イギリスの田舎暮らし、バイリンガル育児、イギリス英語についてお届けします

なぜこの街に来たのか - そこに大学があったから。

私の夫は大学教員である。

大学教員という仕事ほど、ロケーションにこだわらず職探しをする職種はないように思う。そこに仕事があれば、そしてその条件がある程度良ければ、その大学がアメリカにあろうがイギリスにあろうがシンガポールにあろうがロシアにあろうが中国にあろうがカタールにあろうが、とりあえず一度検討はする。

 

しかも、企業と違って大学はどんな田舎にもあるため、企業から派遣されるの駐在員と違って、かなり高い確率で田舎に行くことになる。

自動車関連の会社の社員はプラントがある外国の田舎に派遣されることもあるのだろうが、それでもある程度の数の同業社が集積し、田舎なりに小さな日本人コミュニティができていると聞く。

 

アカデミアの場合、そうとは限らない。陸の孤島に行く可能性は非常に高い。プロフェッショナルのオーケストラ団員も似たようなものだと聞いたことがあるが本当だろうか。

 

私たちは、ここに来る前はアメリカの田舎に住んでいた(理由: もちろんそこに大学があったから)。その後、今住んでいるイギリスの田舎に来た。

 

妻として、夫が働く米英のアカデミアを傍から眺めていると、2,3思うこともあるので書いてみようと思う。

大学教員本人ではなくその配偶者の目からみたアカデミアがどんなものなのかということにどれ程需要があるのかわからないが、本人が書くより多少客観的になるのではないかと思う。

(前提として、私の夫は(一応)文系の研究者である。よって他の分野の話とは若干異なる部分も多いと思われる。また、若手(PhD取得後5年以内)の経験談である。)

 

アメリカの中堅校での勤務 

夫がアメリカで勤務していた大学では、担当授業は各学期2科目で、このランクの大学では平均的であった。給与も、トップ校に比べるともちろん下がるものの、インダストリーの新卒~5年目の人がする仕事と比べてさほど見劣りすることはない。

アメリカでは一般的に、PhD取りたての時からプロフェッサー(アシスタントプロフェッサー)と呼んでもらえる。日常会話では学生にファーストネームで呼ばれることが多いが、「学生から教える立場になった」という意識の切り替えにはなるようである。授業は学生の参加度合いが高く、授業中に受ける質問も多い。

 

一般にアメリカの大学はテニュア制である。5年目前後にある、「テニュア審査」にパスすれば一生涯(犯罪を起こすなどのことをしなければ)その大学に在籍することができる。自分(と家族)が気に入った土地で、テニュア獲得をすることが多くのアシスタントプロフェッサーの目指すところであろう。

よって最初の5年間は非常にストレスフルである。パブリケーションのプレッシャー、慣れない授業(外国人の場合は言語面も含めて)、コミティワークなどの事務作業にも時間がとられ、テニュア審査まではなかなか気を休める暇はない。

ただ、これはトップにいけばいくほど顕著になる傾向なため、私の夫が在籍していたような中堅クラスの大学ではテニュア審査はそれほど厳しくなかったようである。どちらかというと「いかにシニアのプロフェッサーたちに気にいられるか」がポイントになっていたような気がする。

 

イギリスの中堅~トップ校

私たちにとっては出発点が上記のアメリカの中堅校のポジションだったので、それがどうしてもreference pointとなってしまうのだが、イギリスの若手のポジションを語る上でまず初めに出てくることは「アメリカと比べて給料が低い」ということである。

イギリスの一部の大学はアメリカ型の運営がされているようであるが、一般的には給与面ではアメリカの同レベルの大学と比べて20%程度(かそれ以上)下がるのではないだろうか。

 

また、アメリカでいうアシスタントプロフェッサーはイギリスではレクチャラー(lecturer)と呼ばれ、あまり敬意をもって扱われていないように思う。Teachingをする職種、というくくりで高校の教師などと同じカテゴリーで扱われているような気がする。

TAやRAがいないこともアメリカと異なる。テストの採点まで全部自分でしなくてはならない。授業は日本と似ていて大教室で講義型が多く、授業中に手をあげて質問する学生は少ない。

 

イギリスの大学はアメリカのようなテニュア制度はない。多くの大学ではProbation期間を設けて期間中は定期的にレビューがある。しかし労働組合が強い国柄のためよっぽどのことがない限りクビにはならないと聞く。

 

妻として思うところ

アメリカの中堅校のテニュアトラックにいる若手たちは、つい上位校にいる人たちが気になり、もっと上を目指したくなってしまうように見受けられた。アメリカという土地柄がそうさせるのか、アカデミアにはそういうタイプがセレクションされてくるのかはわからない。

 

アカデミアのジョブマーケットは非常に競争が激しい。中堅校でアシスタントプロフェッサーをしている人の多くはトップ校でPhDをとっている。

このような人たちは、ある程度のプライドもあるため、どうにか少しでも研究環境の良い大学へ移ろうとする。そのため就職後もずっと走り続けることになる。しかし、その道は非常に厳しい。

 

一方、中堅校もしくはもっと下のPhDプログラムをトップの成績で卒業して、そこそこの大学にアシスタントプロフェッサーとして就職できた人は、それ以上のポジションを目指すことなく、そこでテニュア獲得のため落ち着いてやるべきことに集中し、そこでテニュアがとれると将来設計も立てやすくなり、家も購入でき、ローカルコミュニティの一員となり、、とわりと幸せに安定した生活を送っているようにみえた。

 

イギリスの若手レクチャラーたちの中にも同様に、あまり無理をせず現在の勤務校に長期間(長い人では10年以上も)レクチャラーとして勤務している人たちも存在する。

イギリスの大学では一部の非常に優秀な人を除き、上を目指す人は数年に一度大学を移ることになる。逆に言うと、長く同じ大学にレクチャラーとして勤務していると、外部からReader(Lecturerの上のタイトル、アメリカでいうところのAssociate Professor)が入ってくるのをよそ目に、自分だけいつまでたってもレクチャラーということがありえる。

先ほど書いた通り、レクチャラーの給料は安く、在籍期間が長くなったからといってもほとんど上がらないのではあるが、それでもその地を気に入って、家も購入し安定的な生活を送っている人たちもたくさんいる。

 

しかし、私は、個人的には、今はある程度将来設計が難しくなろうとも、チャレンジ精神を持ち続ける夫を応援したいと思っている。

同じような立場で安定的な暮らしが送れている人たちを見ると羨ましく思うこともなくはない。だが、走り続ける夫を見ている方が楽しいし、楽な道へ流されず挑戦し続ける夫は尊敬できる。

正直なところ、インダストリーであればかなり高い確率で成功者になれるであろうこの人がわざわざリスクの高いアカデミアで働いて、なんともの好きな、とは思うが、そのもの好きといっしょにいる私が一番のもの好きか。