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イギリスの田舎暮らし、バイリンガル育児、イギリス英語についてお届けします

バイリンガル育児はバイカルチャー育児(であるべき)なのか   理想のバイリンガルとは

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イギリスの田舎で育つ4歳半になる娘はちゃくちゃくと日本語と英語のバイリンガルの道を歩んでいます。私も「バイリンガル育児」を始めて4年半が経つわけですが、その中でずっと疑問に思っていることがあります。

それは、

 

バイリンガル育児はバイカルチャー育児(であるべき)なのか

 

ということです。バイリンガルの人はバイカルチャー(であるべき)なのか、とも言い換えられます。今回はこのあたりのことについて書いてみます。

(下の写真は全然関係ないですが、初めて影の存在に気付いたときの娘の写真です。2歳ごろ。)

 

目次

 

理想のバイリンガルとは?

バイリンガル育児とひと口に言っても、国際結婚などで両親の母語が異なる場合、外国に暮らしていて家庭で話されている言葉と社会で話されている言葉が違う場合住んでいる国で話されている言葉とは違う言葉を家庭で意識的に学習させる場合など、環境によっていろいろあると思います。

 

その環境によって、親が子供に求めるバイリンガルの達成度は変わってきます。例えば、言語には聞く・話す・読む・書く4技能がありますが、聞く話すさえマスターしてマイナーな方の言葉でも会話ができるレベルになれば充分、というように考える人がいる一方で、両方の言葉で4技能全てそろった完璧なバイリンガルを理想とする人もいます。

 

海外暮らしが長くなってくると、子供も現地語の方が強くなり、日本語はもう必要最低限でいいのではとなってしまう話はよく聞きます。大きな壁は10歳ごろにくるようです。

小学校低学年ぐらいまではなんとかなっていても、小学校4年生頃から子供を取り巻く環境にも学習内容にも抽象的な概念がどんどん登場するようになり、漢字の難易度もぐっと上がるので、より深く日本語を理解していないと意味がチンプンカンプンになってくるそうです。

 

 どんなタイプのバイリンガルに育てたいかはそれぞれの親の考え方なので、当然ながら、こういう環境ではこういうタイプのバイリンガルに育てるべし、のようなルールはありません。でも、だからこそバイリンガル育児に取り組む多くの親が悩むところでもあると思います。

 

バイリンガルを文化の面から考える

 

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私は環境と自分の努力で英語は普段の生活や論文を読んだり書いたりするには不自由しないレベルになりました。アクセントは北米よりなので、初対面のイギリス人にアメリカ人だと間違われたことも何度かあります。

外資系企業で働いていたので私よりもっと完璧なバイリンガルに近い同僚も周りにたくさんいました。私自身も含めて、2つ以上の言葉を話す人を見ていてよく思うのが、どの言葉を話しているかによって同じ人でも受ける印象が違うことがある、ということです。実際にそう面と向かって言われたこともあります。(その時は確か「日本語のときはおっとりしているのに、英語で話しだすと早口だしアグレッシブな感じになるよね」と言われました。)

「日本語脳」「英語脳」という言葉が出てくるぐらい、言葉が思考回路へおよぼす影響は大きいのだと思います。

 

また、同じ内容のことを、日本語でいうと普通なのに別の言葉で言うとなぜか違和感がある、変な感じがする、ということが時々あると思います。それはきっと、その文化圏ではあまり言わないことを無理やりその言葉に訳したときに起こるのだと思います。その文化の違いをうまく説明できるのは両文化について深い理解を持つ人だけです。

 

言葉の習得には文化習得を伴う場合と伴わない場合があるそうです。

日本にルーツを持ちながら海外に住む子供たちが学ぶ日本語を、母文化補強の役割を持つ「継承語」という側面から研究されている中島和子先生の本にこのような説明があります。

 

2つのことばが流暢に話せても、価値観、ものの感じ方、行動パターンは1つだけ、つまり「モノカルチュラル」の場合もある。文化習得を伴うバイリンガルを「バイカルチュラル」、そして多文化に触れて育った結果どこの文化にも属せなくなった場合を「デカルチュラル」と言う。

....

例えばカナダの英語圏でフランス語で学校教育を受けると、英語もフランス語もできるようになるし、フランス人とも違和感なく付き合えるようになるのでバイカルチュラルになるが、それでもイギリス系カナダ人というアイデンティティはしっかりしている。このように母語の上にもう一つ有用なこどばが加わり、しかもアイデンティティが崩れない2言語接触の状況は「アディティブ・バイリンガリズム」、その逆で2言語環境に育ちながらもモノリンガルになってしまう状況は「サブトラクティブ・バイリンガリズム」と呼ばれる。

「バイリンガル教育の方法」中島和子

 

 

私たちの場合

私は娘には日本語は家族の言葉英語は社会(学校)の言葉だと教えています。日本語を通じて学ぶものは家族(日本)の文化であり、英語を通じて学ぶものはイギリスの文化だということです。バイリンガルになるということはアクセスできる文化が増えるということです。

 

いまはイギリスに住んでいるけれど、娘には日本人として育ってもらいたいというのが私たち夫婦の考えです。家庭で地道に日本語学習に取り組むのはこのためです。

また、今後アイデンティティの揺れが出てきたときや、学校で一人だけ外見が違うことなどで悩んだり差別にあうようなことがあったときに、日本語をしっかりやっていれば自分にはルーツの国がちゃんとあってつながっているという意識が持て、それは娘の助けになるのではという考えもあります。

 

でも同時に、娘には日本文化しか知らないモノカルチュラルのバイリンガルではなく、イギリス人の価値観も違和感なく理解できる、強いて言うなら国際的な日本人のバイリンガルになってもらいたいと思っています。

AI機械翻訳の技術がどんどん進むいま、日本人が英語を学ぶ意味も変わってきていると思います。単に内容を翻訳するだけならテクノロジーがしてくれる時代に生きる世代にとって、スキルと言えるのはそのことばの背景にある人々の感情や考え方まで含めた深い言語の知識ではないかと思います。コンピューターが心情を含めて理解できるようになるのはもう少し先で、感情面の配慮はまだまだ人間の仕事のようです。

 

ところで、この「国際的な日本人のバイリンガル」という微妙な表現、もっといい言い方はないかと思っていたら、ありました。 

カナダ人の言語学者ランドレイとアラードの言葉を中島先生が著書の中で紹介されていました。次世代の「バイリンガルの理想像」の3要件は次のようなものだそうです。

 

(1)両言語が会話力でも読み書きの能力でも高度に発達していること。

(2)両言語の文化に対して前向きの心的態度を持つと同様に、母文化に対して文化の担い手としてのアイデンティティを持っていること。つまり、母文化、母語集団へのアイデンティティを失っていない、「バイカルチュラル」であること。

(3)両言語がいろいろな領域で広く使え、しかも混合せずに使えること。つまり、1つのアイデンティティをしっかり持っているバイリンガル、バイカルチュラルで、しかも両言語が偏りなく使えること。

 

この3つの要件を完璧に満たすことはとても難しそうです。環境や子供の性格にも左右されると思います。

でも、無謀かもしれないと知りつつも、この3要件に共感するところは大きいので、とりあえずはこれを「理想」としてバイリンガル育児に取り組みたいと思います。

 

完全改訂版 バイリンガル教育の方法 (アルク選書)

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