おかあさんとママ、mummyとmum

もうすぐ2歳5か月になる娘が私のことを「おかあさん」と呼ぶようになった。舌足らずの発音で「おかーしゃん」と娘に呼ばれると正直少しくすぐったい気がする。

我が家では娘が産まれてはじめの数カ月を除いて、娘に対しては「お母さん・お父さん」で接してきた。最初の数カ月はママだったのだが、夫の非常に強い説得により私は「お母さん」になった。

私が育った家では両親は生まれた時からママとパパで、実は今でも両親と話すときにはママとパパと呼んでいる。もちろんある程度の年齢になってからは(何歳ぐらいだったからは特に記憶していないが)、家の中と外でママパパとお母さんお父さんを使い分けてきた。一方夫が育った家庭では小さいころからずっとお母さんお父さんだったらしい。さらにまわりにも親をママパパとよんでいる子供はいなかったと言う。このためママパパに非常に強い抵抗があるようである。

私は個人的には自分がママと呼んできたので、娘にはママと呼ばれたかったのだが、海外でバイリンガル子育てをすることを考えると「ママ」と英語でママにあたるmummy(アメリカではmommy)は音が似ているので、日本語と英語と違う音の方が切り替えになっていいのかなと(無理やり)思うことにして、娘に日本語で話すときにはお母さんで通してきた。

 

とはいえ、赤ちゃんがいきなり「おかあさん」と発音できるわけはなく、さらに日英両方の言葉にかこまれて育っている娘の私の呼び方はかなり変遷があった。

言葉が出てくるのが遅めだった娘は、発音できる音がものすごく限られていたので(「あ」「ま」「ぱ」など)、かなり長い間私のことは「ま」ですましていた。たしか2歳直前あたりまで「ま」だった気がする。2歳をすぎると「ま」が「まみー」(mummy)に変化した。娘は保育園には行っていないが、普段一緒に遊ぶ子供たちはほぼ全員英語話者なため、おそらく彼らから学んだのだと思う。また月に1度行く日本人のプレイグループでも「お母さん」と呼んでいる子供は誰もおらず、両親とも日本人の子はママ、ハーフの子はmummyである。この頃はどんなに私が「おかあさんって言って」といってもマミーとしか言わなかった。

ところが、2歳2か月ごろに変化が訪れた。突然「マミー」が「おたー」になり、しばらくすると「おたーた」そして「おたーたん」になった。考えられる理由はふたつ。一つは、娘の場合はいわゆる言葉の爆発がこの頃訪れたので、急にいろんな音を発音できるようになったということ。それまでは単におかあさんよりマミーの方が発音しやすかったからそちらを選んでいたのではと思う。もう一つは、ずばり、トトロである。この頃にとなりのトトロのDVDにハマり繰り返し何度もみた期間があった。あの映画の中ではサツキとメイが何度も「おかあさーん!」というシーンがあるので、それに影響されたのではと思っている。

やはり子供は子供同士で学びあうのだろう。大人の私たちがいくら「お母さん」と言っていても、まわりの子供たちがmummy mummyと呼んでいればmummyと呼んでいたが、メイちゃんが「おかあさーーん!」と呼べばそれをまねするのだろう。

それでも、まわりが英語の環境ではmummyと私のことを呼ぶので、私がひっそり思っていた「ママと呼ばれたかったのに。。」の思いは半分満たされたのでまぁよかった。

ちなみに、お父さんはかなり長い間「おと!」だったのだが、こちらも最近さん付けに昇格し、おとーしゃんと呼んでもらっている。

 

ここで少し気になったので、まわりのイギリス人たちに子供はいつまでお母さんのことをmummyと呼ぶのかを聞いてみた。一般的にイギリスでは大人は母親のことをmumと呼び、これが日本語の「お母さん」的なことばにあたると思う。母親のことをmotherと呼ぶのは日常会話ではあまり聞いたことがない。

 子供にもよるが、学校に行くころになったら(4,5歳ごろ)、周りに影響されてmumと呼ぶようになるようである。特に男の子のほうがそのトランジッションは早くくるようである。女の子によっては人前ではmumと呼ぶものの大人になっても母親と直接話すときはmummyと呼ぶ人も多いという人もいた。これは日本と似ているのではと思う。

しかし私が話を聞いた全員と、ネット上のディスカッションで書き込んでいる人の大半がいつまでも子供にはmummyと呼ばれたい、と言っていた。子供がmumと自分のことを呼び出すのは悲しい(sad)のだそうだ。急に子供が成長してしまった感じがするのだろう。

今後保育園や学校に行くようになったら娘も英語で話すときは私のことをmumと呼ぶようになるのだろうか。それについては悲しいという気持ちは今のところ特にないが、娘が泣きながら私を呼ぶときに「おたーーおたーー」と呼んでいたのが、「おかーしゃーーん」になり成長を感じつつも少しさみしいような気がするのは事実である。