幸せな家族

Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its own way.

幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。(訳:望月哲男、2008、光文社古典新訳文庫)

トルストイのアンナカレリーナの冒頭の文章は最もよく引用される文章の一つだそうだ。私はアンナカレリーナを大学生のときに初めて日本語訳で読み、つい最近もう一度英語訳版で読み終えた。以前の記事で書いたとおり、イギリスに来て以来キリスト教や宗教全版について考える機会が多い私にとって、今回は特に後半部分のキリスト教からの観点での物語の展開を興味深く読むことができた。

 

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同時に、改めて読んで思ったが、これを男性が書いたということが信じられない。この物語にはメインキャラクターのアンナを含めて複数の女性キャラクターが登場するが、世の中の男性の中に女性の複雑な心理をこのように第三者目線で語ることができる人はどれほどいるのだろうか。うちの夫にはチンプンカンプンであろう。

さて、今回は冒頭の「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。」について少し思ったところを書き留めてみたい。

 

一般的にこの文章は、不幸な家族はそれぞれ異なる事情で不幸であり、幸せな家族はその不幸になるさまざまな要素の全てが欠けている(=よってどれも似通って見える)、と解釈され、Anna Karenina Principleともよばれている。言い換えると、幸せな家族をつくるための何かこれという要素があるわけではないとも言える。特に現代の社会では家族の形も多様化が進んでいるため、私たちの親の世代までにあった、何となく皆がイメージしている幸せな家族像が必ずしも存在するわけではない。私の周りを見渡しても、うまく行っているなと思うファミリーの中には、共働きで子供がいて家事を分担しながらバランスをとっている家庭、専業主婦の奥さんがいて旦那さんは家庭で過ごす時間がとても少ない家庭、妻が働き夫が家で家事育児の全般をこなしている家庭、子供のいない家庭、その家庭の事情で夫婦が別々に暮らしている家庭、などさまざまなタイプがある。

しかし、その中で最近ひとつ共通するのではと思える点が出てきた。それはその家庭にとって大切なことについては意思決定を2人でする、ということである。はたから見ると不思議な取り決めなようでも、その家庭においてはよく機能しているルールというものは大抵夫婦が2人で話し合って決めている。逆になんとなく結婚以来なぁなぁなまま習慣になっているようなルールの場合は、一方が不満を抱えていることも多いのではないだろうか。心理学や経済学の研究でも民主的にものごとを決めると人の満足度が高く、決まったルールをちゃんと守るということが証明されている。不幸な家族にあるそれぞれの不幸の形は、夫婦間で話し合いがしっかり行われていないことに起因することも多いのではないだろうか。

夫婦間で意見が同じものについては話し合いも簡単だが、意見が異なる場合には話し合いは喧嘩に発展する場合もあるので難しいところである。それでも話し合うことはお互いが何を求めているかを確認するきっかけにもなる。私の夫は典型的な男性脳の持ち主(?)なので基本的に私の気持ちをくみ取ってくれることはなく、はっきり言わないとわからない。たまに推測してみようとするようだが後で聞くとびっくりするような解釈をしていることもある。また、私も、私が思っているほど夫の考えをよく理解していないことがある。というか、夫がどうしたいかは知っていても「なぜ」そうしたいかまでは理解できてきないことがある。夫は何ごともわりと(いつもではない)ロジカルに考えるので、最初は夫の意見に反対だと思っても、その背景にある理由を聞くと意外とお互いが歩み寄れる地点が見つかったりもする。

これからは家族会議をばんばんしていくことが我が家の家庭円満のキーなのだと思うが、夫はアンナカレリーナなんて絶対読まないので、この思いに至った経緯をうまくシェアできないのが残念なところだ。