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ブログを始めてみる

ブログを始めようと思ったきっかけは自分の気持ちを整理することの手助けになるかもしれないから、と思ったから。日本ではそれなりに仕事を頑張っていたので(外資系金融機関だったので給料も良かった)、日本を離れるにあたりわかっていたこととは言え無職という状態に慣れるのに時間がかかった(というか、かかっている。いまだに慣れない)。

夫の仕事のための海外生活とはいうものの、駐在ではないので引っ越し後の事務的なことは全て自分たちでしなくてはならなかったため、渡米した当初は夫が仕事をしている間に私も何かとすることがあった。しかし、しばらくして生活が落ち着いてくると、日中することがなくなってしまったのだ。「することがない」というのは、とても嫌なものだ。日本にいれば仕事や勉強で忙しかったり、気分転換をしたければ友達とあったり、1人で買い物に行ったり、などできたが、アメリカの田舎ではそれが不可能だった。まず、ビザの関係でアメリカでは働けず、一緒にお茶ができるような友達もいない。ド田舎だったために家のまわりはひたすら畑、買い物に行くためにはハイウェイを1時間弱ぶっとばして車で行くのだが東京生活が長かった私は運転に自信がなく、1人で運転して行ける場所は近所のスタバとスーパー程度。どうにもこうにもならないので、在宅でできるような仕事を探し始めたところで妊娠していることに気付いた。

 

有り余る時間を処理するために始めた夫の仕事の手伝いは知的好奇心を満たしてくれ、これは今でも続いている。渡米した1年後ごろに出産し、私の生活も大きく変わった。娘は他の赤ちゃんと比べると比較的手のかかる方だったと思う。もうすぐ2歳になる娘は今では食べることが大好きでよく笑ってよく遊びよく寝る女の子だが、新生児のころはよく泣いた。6カ月ぐらいまでは日中も夜中もつきっきりだったように思う。7ヵ月の時にアメリカからイギリスへ引っ越しをした。今度の街も田舎だが、前住んでいたところに比べるととても暮らしやすい。プレイグループ(教会や公共施設で赤ちゃんのいる親が集まって皆でいろんなアクティビティをするもの、おそらく日本の児童館に近いのだと思う)もたくさんあるし、そこを通じて友達も何人かできた。

しかし、どうも満たされない日々が続いた。私なりに考えてみたところ、理由をまとめると「生きがい」のようなものがないからだと気づいた。つまり、夫の仕事の手伝いはある程度頼ってもらえるほどになったとはいえ、娘の世話も、自分のためにしていることではないのだ。仕事でも趣味でもいいから自分のためにしていること(そしてできれば長く続けられそうなこと)がないと昨日が今日と同じになる。自分のためにしていること、というのは、自分がやっていて楽しい、という要素がいる。もちろん、娘との時間は楽しい。娘はまだ小さいこともあり、昨日できなかったことが今日はあっさりできたりして、そんな娘は本当に愛おしい。しかし、娘の人生は娘の人生であり、娘が何かを達成したことは私が何かを達成したことにはならない。

夫の仕事の関係上、私たちはもうしばらくは海外生活が続くと思われる。英語圏である程度都市部であれば私も就職機会を見つけられるのだが、今のところそのような場所への移動は難しそうである。そこで、私は今後どう生きたいのか、などを考えるようになり、ここ数年は育児に専念しようか、しかしそう長期のキャリアブランクを経て数年後に簡単に仕事を見つけられるのか、という焦りが交錯するようになった。さらに、(自分のために)何もしていない私の存在意義とは?なども考えるようになってしまったわけだ。当然ながら毎日こんなことを頭を巡らせながら生活しているわけではないものの、日々のふとした瞬間に「私はどうしたいんだろ」と自問してしまうのは事実である。

近いうちにやりがいのある仕事か趣味を見つけて脱専業主婦を図りたいと思っている。自分の頭の整理のためにもブログを始めてみることにした。